ベビーピンクのマニキュア

憧れていた生活は、こんなにも希薄なものだったのかと思う。
茶色く染めた髪に、耳のあたりから緩くかけたパーマ。高いヒールの靴を履いて、雑誌にのっているブランドのミニスカートを履く。だるいな、と思いながら大学の講義を受けて、友達と適度におしゃべりをして、イベントサークルの部室でだらだらと過ごす。
それは、規則に縛られていた高校までは考えられないような自由な生活で、私はずっとこんな生活に憧れていた。高校の教室で、騒がしい男子たち、群れる女子たちを冷めた目で見ながら、早く大人になりたいな、と思っていた。二十歳を越えたらもっと自由で、もっと聡く、格好良く生きることができると信じていた。
部屋のピンクのコンポから流れるのは、最近FMでヘビロテしている女性歌手のやさしい曲。夜のテレビ番組はうるさいから嫌い。でも、こんなにもやさしい曲が体に流れ込んでくると、背中がむず痒くなる。一度かるく首を振って、先ほどから塗り続けているマニキュアに集中する。爪を塗ろうと思い立ったのはついさっきで、色はベビーピンク。シンナーのきつい匂いが部屋にたちこめる。今は深夜で、きっと今日もシンナーくさい部屋で眠ることになるのだろう。気持ち悪いけれど、私はどうしてか深夜にマニキュアを塗ることが好きだ。静かな部屋で、黙々と爪を塗り続ける。いかにはみ出さないように、綺麗に塗れるか神経をとがらせて。バイトは飲食店だけれど、次に入るのは一週間後だ。それまでに落とせばいい。
座り込んだ床に、足元には女子大生向けの雑誌とサマンサのかばん。雑誌の中ではモデルが花柄のワンピースを着て、にっこりと微笑んでいる。このページは一ヶ月の着こなしをご丁寧に紹介してくれるものだ。そう、私はずっとこんな生活に憧れていた、はずだった。今日もたいして綺麗に塗れなかった爪をぼんやりと眺めながら、乾くのを待つ。このマニキュアは即効性が売りだ。だからなのか知らないけれど、剥げるのもけっこう早い。棚に並べられたのはヘアケア用品と、乱暴に扱うと壊れそうなほど華奢なデザインの化粧品。FMから流れるのは、よくわからないバンドの鋭利な歌声。机の上に広げられた手帳には、三日後に飲み会の予定が書かれている。
高校を卒業したら、二十歳を越えたら、もっと自由になれると思っていた。けれど、自由とは案外窮屈で、つまらないものだなとも思う。雑誌のような格好をして、適度に授業を受けて、たまに夜遊びをして。そのたびに親に睨まれるのだけれど、仕方ないじゃんって思う。ベビーピンクのラメ入りのマニキュアは、キラキラと光る。小さな部屋は予想通り、まだシンナーくさい。けれど爪のまばゆい輝きに満足した私は、どこか優越な気分になる。
ああ、憧れていた生活は、こんなにも希薄なものだ。

(100318)
inserted by FC2 system