頼むのはハンバーグと決まっている。そして、陽介が頼むのはミートスパゲッティ。ふたりでファミレスに行くと、カラフルなメニューには目も通さず、愛想のわるい男の店員にハンバーグとミートスパゲッティを頼むのだ。 それから、セットで付けるドリンクバー。最近は陽介が気をきかして、 「絵理ちゃんはオレンジでいいよな?」 と言って、自分の飲み物と一緒に私の飲み物も入れてきてくれる。 夜のファミレスは好きだ。昼間はうるさい子どもが多くてきらいだけれど、夜はしずかなおとなが多いから。ぴかぴかと、むだにあかるい店内も好き。 陽介は私のオレンジジュースを、とん、と置いて、それから自分のメロンソーダをテーブルに置く。 「絵理ちゃん、おしぼり取って」 と、陽介が言ったので、あたしは袋に入ったおしぼりを彼の前に置いた。 陽介は、ふしぎなことに私を「絵理ちゃん」と呼ぶ。確かに年は私の方が一歳上だけど、物心ついたときから一緒にいる幼なじみとしてはめずらしいことだ。「絵理ちゃん」と呼ばれることに慣れているから、ずっとそのままにしてある。たぶん、陽介は呼び捨てにするタイミングを逃してしまったのだと思う。 今日も、駅で偶然陽介に会った。バレー部の青いスポーツバッグ。それが陽介の目印。 私は予備校帰りで、なんとなく家に帰りたい気分ではなかったから陽介を誘った。 「ねえ、ファミレスに行かない?」 と。 私が突発的に「ファミレスに行こう」と言うことはよくあるので、陽介は、 「ああ、いいよ」 と、快く了解してくれた。陽介の両親は昔から共働きで、家にいる時間はすくない。そのため小学生の頃は、私の家でご飯を食べ、しばらく居間でテレビを見て帰るという生活をしていた。彼と見ていたテレビ番組で、いちばん記憶に残っているのはサザエさんだ。サザエさんを見ている最中、陽介は楽しそうにわらっていた。今思えば、サザエさんの家は陽介の憧れだったのかもしれない。家に帰れば必ずだれかが迎えてくれるにぎやかな家。両親に構ってもらえなかったわりに、陽介はあかるくて思いやりのあるいい子に育ったと思う。 「家でなんかあった?」 陽介はおしぼりで手を拭きながら尋ねてきた。私が「ファミレスに行こう」と言うのは、たいてい家族と折り合いがよくないときだ。長い付き合いである陽介はそれを知っている。 「べつに」 私は表情を変えずに言った。 家に帰ったら、厳しい母と出来のいい妹の有莉(ゆり)が待っている。妹は有名な進学校に通っていて、姉は勉強の出来ないおちこぼれ。そういう姉妹なら、だれでも妹の方に目を掛けると思う。その妹が高飛車でいやな子なら私も思いっきり反発できるのだけど、妹の有莉は素直で、姉から見てもやさしくていい子なのだ。 だから、私には居場所がない。 母や妹を批判して自分を正当化しても、家が私の居場所になることはない。 私はりぼんをはずして、後ろのゴムを伸ばした。いつもは放課後にやっていることだけど、今日は返却された模試のことで頭がいっぱいだった。目の覚めるような青色のりぼん。私はこの色がきらいじゃない。 「絵理ちゃんはやさしいから、いろいろ考えすぎなんだよ」 陽介はメロンソーダを啜りながら言った。 「やさしい? 有莉のことじゃないの?」 「有莉もやさしいけど、絵理ちゃんの方がやさしいと思うよ、俺は」 にっこりとわらいながら、言う。あたしは何もこたえなかった。可笑しいくらいにあかるいファミレスの蛍光灯が目にまぶしい。陽介は本当に稀有な男子高校生だ。こんなことを屈託なく言える男子高校生は、きっと陽介しかいないと思う。 そこへ、ハンバーグとミートスパゲッティが同時に運ばれてきた。 「ごゆっくりどうぞ」 さっきとはちがう、愛想のいい店員だった。アルバイトの女子大生だろうか。くっきりした笑顔が印象的で、その姿はなんだか妹の有莉に似ていた。 私たちは黙ったまま、籠にはいったフォークやスプーンをとった。金属の擦れる音がする。 「そういえばさ、絵理ちゃんはどこの大学受けるんだっけ?」 陽介は器用にパスタをフォークに巻きつける。くるくる、と過不足なく。 「お母さんが希望している東京の大学は厳しいだろうって。地元の大学はぎりぎり合格圏内だけど」 鉄板の上では、ハンバーグがじゅうじゅう音を立てながら焼けている。フォークをさしてナイフで切り始めると、いっそう音は激しくなった。 「おばさんが言う大学より、絵理ちゃんが行きたい大学でいいじゃん」 私はちいさくわらった。 「陽介が言うと、それはすごく簡単なことみたいに聞こえるわ」 陽介は不思議そうな顔をする。そんな表情をするときの陽介は、仔犬みたいに愛くるしい。 「なんで?」 「なんでも」 いぶかしげな顔をする陽介を見ながら、私はわらい続けた。メロンソーダにオレンジジュース、ミートスパゲッティとハンバーグ、それからファミレスの蛍光灯も。いつも通りの定位置にあるそれらは、なんだかとても満ち足りた景色のように見えた。そう言えば、電子辞書の電池が切れていて、有莉から赤ペンを借りたままだったことを思い出す。有莉に赤ペンを返して――それからお母さんに模試の結果を渡して、地元の大学を受けたいと言おう。きっと反対されるだろうけど。単身赴任中のお父さんへ手紙を書くのも忘れたままだ。 やるべきことはたくさんある。問題はつねに山積み。でも、ひとつずつ片付けていくしか術はない。 「私ね」 そう言ったのは、陽介が最後のパスタを巻きつけているところだった。 「陽介のお姉ちゃんになりたかったな」 氷でうすくなったオレンジジュースを飲む。陽介は、可笑しそうにわらっていた。 ファミリーレストランにて 姉妹作:「身代わりの恋」 (080130) |