家族ごっこ

わたしにはお父さんがいない。途中で別れたりしたんじゃなくて、最初からいないのだ。お母さんだって、
「瑞希のお父さんはいないのよ」
と、けろりとした表情で言う。だから、わたしにはお父さんがいない。お父さんがいなくても、正史(まさふみ)くんがいてくれるから平気だった。わたしの小学校の入学式の時だって正史くんがいちばんはしゃいでいて、当日は黒いスーツを着込んで父母席でビデオカメラをまわしていた。その時に正史くんに撮ってもらったお母さんとわたしのツーショット写真は、今も玄関の棚の上に飾ってある。背が高くて、あかるい茶色に染めた髪とピアスが似合う正史くん。見た目は派手だけどやさしい彼は、お母さんの弟だった。わたしを間に挟んで三人で手をつないで歩いていると、まるで若い夫婦とその娘みたいだ。可笑しいけど、なんだか本物の家族みたいでくすぐったかった。
わたしたちはぼろアパートに住んでいて、窓の傍はいつも日なたくさかった。庭は草が伸び放題に生えていて、夏にはそこで必ず花火をした。お母さんは線香花火だけやって、あとは黙ってタバコを吸っている。わたしはふつうの花火でも怖くてへっぴり腰でやっているのに、正史くんは派手な花火を二個も三個もくっつけて燃やしていた。バチバチ、と勢いよく燃える花火。それに怯えるわたしを見て、
「瑞希は怖がりだな」
と笑いながら呆れていた。バケツにはった水。蚊取り線香と火薬の匂い。建設現場で働いている正史くんの腕はよく焼けていて、筋肉がたくさんついていた。
二年生になっても三年生になっても、授業参観の日には正史くんが必ずきてくれた。わたしが国語の教科書を朗読すると、こっちが恥ずかしくなるぐらいに大きな拍手をしてくれる。そっと振り向くと、満足そうに笑う正史くんがいた。
「瑞希ちゃんは、やさしいお父さんがいていいね」
友達は口を揃えてそう言った。訂正するのも面倒だったから、わたしはにっこりと笑っておく。正史くんはお父さんじゃないよ。その言葉を、わたしは一生言わない気がした。


四年生の夏休み、正史くんは知らない女の人を連れてうちにやってきた。彼女は茶色の髪の毛をくるくると巻いていて、最近流行りのなんとかっていうモデルに似ていた。ぼろアパートにクーラーなんてものはもちろんなくて、さめた青色の扇風機だけがけだるげにぶうんと回っている。お母さんは、暑いのにご苦労様ね、と言ってにこやかに女の人を迎えていたけど、その目は全然笑っていなかった。リビングの小さなテーブルを囲んで、お母さんと正史くんが話し始める。わたしは隣の和室でおとなしく漫画を読んでいたけど、会話は全部聞こえてきた。どうやら正史くんはその女の人と結婚するらしい。お母さんは喜んでいるみたいだったけど、本当は喜んでいないことがわたしにはわかった。だって、わたしが正史くんのことが好きなように、お母さんだって正史くんのことが好きだから。
帰り際、その女の人はこの家に不似合いなケーキを三つ置いていった。ぴかぴかと光る赤い苺に、白い雲みたいな生クリーム。お邪魔しました、と丁寧なお辞儀をして、彼女は帰って行く。


また夏がやってきて、わたしは庭でシャボン玉をふくらませていた。相変わらず草はぼうぼうに伸び放題だけど、誰も片付けようとはしない。去年の秋、ついに正史くんはこの家を出て行った。困ったことがあれば何でも言えよ、と言っていたけれど、彼に頼ることはもう永遠にない。それからの連絡は年賀状一枚だけで、もうすぐ子供が生まれます、と書かれていた。がらがらと網戸を開けて、お母さんがタバコを吸いながらやってくる。荒れ放題の庭に目を細めて、白く濁った息を吐いた。
「正史も女を見る目がなかったわねえ」
ぷうとシャボン玉をふくらませて、私もつぶやく。
「そうだね」

(080310)
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