Alice1.おもちゃ箱

幼い頃、あたしの世界はおもちゃ箱で形成されていた。
大好きなクマのぬいぐるみの“ロージィ”を筆頭に、小花の模様が入ったティーセット、カラフルな積み木に、金髪碧眼のマリオネット“シャトール”とフランス土産の兵隊“フランソワ”。ロージィはちょっと鼻の位置がずれているのが気に入っていて、シャトールは西洋美人だった。パパがフランス土産に買ってきてくれた長身痩躯のフランソワは、きれいなシャトールのことが好きっていう設定。
彼らといれば時がたつのはあっという間で、退屈なんて知らなかった。
新しいおもちゃ箱が手に入るとすぐに、空箱の中をみたすおもちゃをねだった。それはまるであたしの心のようで、空っぽだと胸がスースーして気持ち悪かった。
パパもママも、可愛いおもちゃなら喜んで買ってくれた。二人とも、あたしが然るべき『子ども』であることを喜び、そして永遠に『子ども』でいて欲しいと願っていたようだ。
『子ども』はきれいだ。純粋で無垢で、世のけがれなんてなんにも知らない。年をかさねるにつれ、かつては自分も『子ども』であったことを忘れておとなになり、よごれて、朽ちてゆく。あたしはそんなおとなになりたくなかった。
あたしは、永遠に『子ども』のままでいたい。
だからママは呪いをかけたのだ。
「愛莉珠、あなたは永遠に子どもでいるのよ。そしたらママは、永遠にあなたを愛してあげる」
あたしの前髪をすきながら、その呪文を幾度となく唱えた。
ママは綺麗だった。そして、永遠に少女だった。
今もリビングルームの主のごとく居座っている白いピアノも、この薔薇庭園も、金縁のティーセットも、すべてママが所望し、外国からも取りそろえた少女趣味の代物だ。
きわめつけはあたしの名前――愛莉珠。
友達は「可愛いね」と言ってくれるけど、これは可愛いだけの名前じゃない。
これは、あたしが永遠に子どもであるための必要性であり、呪縛でもあった。


  今日の放課後、クルベールでケーキ食べない?―ゆか
授業中、ゆかからこんな手紙がまわってきた。クルベールでケーキか。うん、いいかも。あそこのケーキはおいしい。なめらかな生クリームと、つやつやのイチゴがのっかったクルベールのショートケーキは好きだ。でも、ティラミスも捨てがたいかな。
そんなことを考えていると、隣の席の優貴にひょいと紙をとられてしまった。
(へえ、放課後クルベール行くの。俺も行こうかな)
生物の授業中だから、優貴は小声であたしに話しかけてくる。
(優貴と一緒に行くわけないでしょ)
そう言って、彼の手から手紙をとり返した。
(ちぇっ。今日はせっかく部活オフだってのに、誰も遊んでくれねぇし)
聞こえないふりをして、あたしはミルキーピンクのペンでゆかに返事を書く。
  OK。あたしショートケーキがいいかなあ。ゆかは何にする?―愛莉珠
女の子の手紙やメールは、話が続くように疑問系でおわるのが基本だ。これでよし。ペンにキャップをし、ななめ前の美奈に手紙をゆかにまわしてくれるよう頼む。ちらりと横を見ると、優貴はたいくつそうにシャーペンをゆらゆらさせていた。
(学年一位目指すんじゃなかったの?)
(やめた。だって誰も遊んでくれねぇし)
言ってることが滅茶苦茶だ。そう思いながらもあたしは一応「ふうん」と答えておいて、シャープペンの芯を入れかえようと白いペンケースのチャックを開けた。
ふだんはクラスメイトの男の子は「くん」付けで呼ぶけど、優貴は幼稚舎から一緒で下の名前でよぶことに抵抗はなかった。その点で言えば、幼なじみ同然の存在と言ってもおかしくないかもしれない。
ゆかから手紙が返ってきた。
  あたしもショートケーキ食べよっかな。紅茶はもちろん、アールグレイだよね?―ゆか
思わず笑みがこぼれる。もちろん紅茶はアールグレイだ。さすが、ゆかとは気があう。
隣から優貴がのぞき込んできて、手紙に目を通すと恨めしげにあたしの顔を見てきた。


午後からは小雨がぱらぱら降ってきた。
「あーぁ、雨の日ってなんかユウウツじゃない?」
クルベールで、ゆかはアールグレイを上品に飲みながら言った。
「あたしは雨の音って、けっこう好きだけど」
そう? と肩眉をあげて、ゆかは運ばれてきたショートケーキにさっそくフォークを入れる。
「おいし。やっぱショートケーキはクルベールよね」
あたしもゆかと同じように、とがった先のほうを小さく切って口の中に入れた。生クリームがまろやかで、ふわふわのスポンジとの相性は抜群だ。この店ほどショートケーキがおいしいところなんて知らない。
「ティーセットも可愛いよね。だからあたし、この店好きだな」
ゆかは紅茶を口にする。あたしは彼女の紅茶の飲み方が好きだ。ティーカップをもつ指のうごきや醸し出す雰囲気が洗練されているというか、品があって思わず見とれてしまう。あたしはそういう人が好き。
ケーキを食べ終えるとゆかはかばんからプリ帳を取り出し、梓紗からもらったプリクラをていねいに貼り始めた。あたしもプリ帳は作っているけど、ただ貼りならべているだけだ。ゆかほどカラフルなペンやハートのシールできれいに飾ったりはしない。
「あーっ、この子だ! 永田クンを狙ってるって噂の」
ゆかは急に声をあらげて、一枚のプリクラを指さした。あたしは「どれぇ?」と身をのり出してのぞきこむ。それは女の子三人で撮ったプリクラだった。ゆかによれば、真ん中でピースしている子が永田くんを狙っているという噂の、C組の平野梨佳らしい。
「ふぅん。可愛いね」
脱色しているのか毛先が茶色い。こういう女の子はあまり好きじゃないけど、顔のパーツは全体的にバランスよく可愛かった。
「ちょっとヘコむなぁ」
「でもゆかは永田くんとよく話してるじゃない」
ゆかはバスケ部の永田くんが好きだ。永田くんはクールであまり話さない人らしいけど、ゆかとはよく話しているところを見かける。
「そうだけど、これだけ可愛かったら自信なくなるよ」
しずんだ面持ちのゆかは、長い爪でぺりぺりとプリクラのシールをはがし始めた。


家に帰るとめずらしくパパがいた。
「パパ、帰ってたの?」
「あぁ。お帰り、愛莉珠」
リビングのクリーム色のソファーに腰かけながら、パパはのんびりと新聞を読んでいた。コーヒーの匂いがする。これはたぶんブルーマウンテン。パパのお気に入りの。
「今日は仕事がはやく終わったからね。家に帰ってきたんだ」
「ふぅん」
パパは実年齢よりずっと若く見える。バレンタインでは若い女性社員にたくさんチョコをもらうから、毎年お返しをどうしようかと悩んでいるほどだ。
「今日の夕飯はオムライスだよ。織部さんが作っていってくれた」
パパはコンポにCDを入れながら、そう言った。織部さんというのは、うちの家事全般をやってくれているお手伝いの人だ。冷蔵庫を開けると、いちばん上の段にオムライスがふたつならんでいた。今日はゆかとクルベールに行ってきたせいか、黄色いオムライスを見ても特に食欲はわかない。
「パパ、あたしもブルーマウンテン飲んでいい?」
「いいけど、ミルクと砂糖をいれるのは邪道だよ」
CDからくるみ割り人形の「花のワルツ」が流れる。パパはこの曲が好きだ。この曲を聴くと、ママとあたしを思い出すんだって。パパは、永遠に少女だったママを愛していた。少女趣味な家具も、白いピアノも、ママのためなら喜んでとりそろえた。そして、きれいな『子ども』のままでいるあたしをとことん可愛がっている。
くるみ割り人形がゆったりと流れる中、パパが新聞をめくる音がする。あたしは夕暮れの薔薇庭園をじっとながめていた。


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