航太くんと別れた。
「受験で忙しくなるし、別れよう」
と言うと、彼はへんな顔をした。それはそうだ。わたしたちは今さっきまで、ごく普通のカップルだったのだから。今日の放課後デートも、ゲームセンターで『太鼓の達人』をして、クレープを食べて、ソニプラをひやかしてきた。よくある高校生のカップル。べつに航太くんのことが嫌いになったわけじゃないし、彼だって、わたしに甘く笑いかけていた。
「え、ちょっと待って有莉(ゆり)ちゃん」
冗談でしょ、と言って、笑ってみせるけど、わたしの目が本気なのを見ると彼の顔は引きつった。そんな顔すると、せっかくのイケメンが台無しじゃない。そう思うと、気持ちがすっと冷めていくのがわかった。
「本気だから」
「オレ、なんかした?」
航太くんはわたしの右腕をつかんできて、手に持っていた定期券が落ちそうになる。わたしは航太くんの手をぶんっと払った。小柄なわたしがそんな強い力で拒むと思わなかったらしく、彼は目を見開いて呆然とする。
「今まで楽しかったよ。ありがとう」
わたしはにこりと笑って、改札口を通り抜けた。航太くんは地下鉄の定期券を持っていない。それからすぐに、「有莉ちゃん!」と叫ぶ声が聞こえてきた。


わたしはいつから、こんな歪んだ「お付き合い」をするようになったんだろう。それは全部、陽介のせい。陽介が振り向いてくれないから、身代わりの恋をする。
家に帰ると、お味噌汁の匂いがした。玄関で靴を脱いでいると、エプロンをつけたママが笑顔で「おかえり」と言いながらやってきた。お姉ちゃんの靴はない。そのことに、わたしの胸は軋(きし)む。
「お姉ちゃんは?」
「予備校よ。晩ご飯いらないって言うから、また遊んでくるんじゃないの」
まったくあの子は、と言ってママは愚痴をこぼす。
「有莉は、絵里みたいになるんじゃないわよ。あの子は頭悪いのに反抗してばっかりで、ちっとも言うことを聞かないし」
「はぁい」
物分りのいい子みたいな返事をして、二階の自分の部屋にあがった。鞄をベッドの上に置いて、机の上に飾ってある写真立てを手に取る。わたしとお姉ちゃんと、幼なじみの陽介が写っている写真。うちの庭に咲いたひまわりをバックに、幼い三人がピースをしている。わたしはこの頃から陽介が好きで、陽介はお姉ちゃんが好きだった。そのことを、お姉ちゃんだけが知らない。
中学生のとき、わたしは陽介にチョコレートを渡して告白した。ダメかもしれない、とは思っていた。だけど、その時お姉ちゃんは高校生で、高校に入ってから急に大人っぽくなったお姉ちゃんは、同じ部活の先輩と付き合っていた。そのことは陽介だって知っていた。だから、身代わりでもいい。お姉ちゃんに少しは似ているわたしのことを「好きだ」と思ってくれることに賭けていた。
「チョコはありがたいけど、有莉の気持ちは受け取れない」
だけど、陽介は迷いなくわたしを拒んだ。一瞬の迷いもなく。悔しくなったわたしは、語気を強めて問いただした。
「お姉ちゃんのことが好きなの? でも、お姉ちゃん彼氏がいるんだよ?」
すると、陽介はふっと笑った。それは今までに見たこともない、やわらかな笑い方だった。
「それでもいいよ」
陽介はいつだって穏やかで、それが彼を好きになった理由でもあったのだけど、その笑顔は本当に、惜しみない愛情に溢れていた。ああ、陽介は本気でお姉ちゃんに恋をしているんだと思い知らされた。写真の中の陽介の笑顔を、そっと指でなぞる。大好きな人の、大好きな笑顔。今でも駅やコンビニで会ったときに、やさしい声で「有莉」と呼ばれると、わたしはどきどきする。わたしのことは「有莉」と呼び捨てにするけれど、お姉ちゃんのことは「絵里ちゃん」と呼ぶ。「絵里ちゃん」には、彼なりのいとしさと照れが含まれているのだろう。わたしはこんなにも陽介のことをわかっているのに、彼の心がわたしに開かれることはない。
カチャリ、と門の開く音が聞こえてきて、わたしは窓から玄関をのぞいた。門の前には思った通りお姉ちゃんと陽介がいて、楽しそうに笑っている。今日もふたりでファミレスに寄ってきたのだろうか。陽介はあの穏やかな笑顔でお姉ちゃんを見つめていて、わたしの心は軋(きし)み、また歪んでいく。
その時、携帯電話のバイブ音が鳴った。名前を確認すると〈立山隼人〉と表示される。友達から紹介された、航太くんとはちがう男の子。メールを開くと、『今度の日曜ヒマ?』という文があった。開けっ放しの窓から、お姉ちゃんと陽介の笑い声が聞こえてくる。

ねえ、わたしを慰めて。わたしの陽介の、身代わりになって。

わたしは〈立山隼人〉に返信をする。――空いてるよ、と。

身代わりの恋

姉妹作:「ファミリーレストランにて
(090906)
inserted by FC2 system