Alice3.いちご狩り

ママはあたしを愛していた。何かあるたびに、「愛莉珠、ねぇ愛莉珠」と瞳をきらきらさせながらやってきた。薔薇庭園の片すみでいちごの花が咲き始めたとか、ケーキのスポンジがうまく焼けたとか、ささいなことでママは大喜びした。あたしはそんなママがきらいじゃなかった。赤いいちごが実ったときは、ふたりで庭に出ていちご狩りをした。ママは楽しそうに、ふふふ、とわらう。
「おうちでこんなことができるなんて思わなかったわ」
ママはあたしを見ながら言う。あたしのみず色の帽子のかたむきが気になったらしく、帽子のつばをそっとさわった。ママの腕はきれいだ。白くて華奢で、ワンピースがよく似合う。このたくさんのいちご、どうしようかしらとママがたずねてくる。
「ケーキと、いちごジャムがいい」
ママはほほえんであたしの前髪をすいた。そして、いつものように呪文をかける。
「愛莉珠、あなたは永遠に子どもでいるのよ。そしたらママは、永遠にあなたを愛してあげる」
ほのかに甘い香りにつつまれながら、あたしはこくんと首をふった。いい子ね、と言ってママはあたしのこめかみにキスをする。


今日のお弁当はサンドイッチだった。ハムとトマトのサンドイッチと、たまごのサンドイッチがそれぞれふたつずつ。定番の組みあわせだ。
「愛莉珠ってサンドイッチの日、多いよね。うらやましいなあ」
ゆかはあたしのお弁当をのぞき込んできた。うちなんていつもご飯にふりかけでさぁ、とぶつぶつ文句を言っている。
あたしのお弁当は織部さんがつくってくれている。「あしたのお弁当、なにがいい?」と、いつもたずねてくれるのだけど、例えばいきなり「えびの天ぷら」と言ってもあしたの朝にはちゃんと揚げたてのえびの天ぷらがお弁当に入っている。織部さんは真面目だ。
「ね、愛莉珠、B組の横山くんとはどうなったの?」
絵実が牛乳プリンのふたを開けながら言い、ゆかもにやにやしながらあたしを見てくる。
「どうって、ふつうにメールしてるだけだよ」
あれから、あたしは義理のつもりで横山くんにメールを送ってみた。するとすぐに返事がきて、いつもの癖で文末を疑問系にして返信するとへんに話がはずんだ。話って言っても、どの店のなにがおいしいとか、今やってるドラマの感想とか、とりとめもないことなのだけど。
「横山くん、ぜったい愛莉珠のこと好きだよね、付き合ったらダブルデートしようよ」
そう言った絵実の顔は余裕で、あたしの状況を楽しんでいるようでさえあった。正直、こういうメールだけの関係は苦手だ。面とむかって話したことはないのに、メールではちゃんと話せるのなんておかしい気がする。そう言うと、ふたりは「愛莉珠は子どもだねぇ」と言ってわらった。あたしはデザートのいちごをつつく。


あたしは『子ども』でいたい。けれど、『子ども』だったまわりの友達は確実におとなへ近づいていく。あたしはおとなになれない。汚れて朽ちていくだけのおとなになりたいと思えるはずがなかった。でも、どうしてみんなは階段をのぼっていけるのだろう。『子ども』であるあたしには、うれしそうに階段をかけあがっていく友達が信じられなかった。
あたしは、おとなになんてなりたくない。もし、何かの手違いであたしがおとなになったとしたら、パパはぜったいに悲しむと思う。いつも言ってるもの。「パパをわかってくれるのはママと愛莉珠だけだよ」って。
そしてママは――おとなになったあたしを愛してはくれない。
(愛莉珠、愛莉珠)
体育館のまあるい屋根を眺めながらもんもんと考えごとをしていたら、だれかの声でふっとうつつに引きもどされた。見ると、優貴があたしの机のうえにある白い紙を指さしている。ゆかからかな。そう思って手紙をひらく。
  今度の日曜ヒマ?―ゆき
あきれた。となりにいるのにわざわざ手紙を書くなんて、優貴はほんとにばかだ。
(口で言いなさいよ)
そう言うと、彼はしぃっと人差し指を口にあてた。
(授業中はしゃべっちゃダメだろー)
教卓のほうを見ると、村田先生がぎろっとこっちをにらんでいる。黒ぶち眼鏡をかけた村田先生は、ふだんはやさしいけど怒るとこわいって聞いたことがある。あたしは首をすくめて、ペンケースからミルキーピンクのペンを取り出した。
  ヒマだけど。っていうか自分の名前くらい漢字で書きなさいよ。―愛莉珠
手紙を返すと優貴は大げさにおどろいた。もしかして、あたしから返事なんてこないと思っていたのだろうか。
  じゃあバスケ部の試合観にこないか?佐藤(ゆかのこと)誘っていいからさ。―優貴←漢字だぞ。これでいいか?
あたしは吹き出しそうになるのをこらえた。優貴ってばへんに真面目すぎる。そういえば、初等部のとき、彼が山の絵をすごく真剣に描いていた覚えがある。バスケのルールはよくわからないけど、バスケ部の永田くんのことが好きなゆかなら、よろこんで試合に行くと思う。優貴も誘ってくれてることだし、あたしは試合を観に行くことにした。
  いいけど。優貴って昔からへんに真面目だね。―愛莉珠
手紙を読んだ優貴は照れたようにわらった。優貴はわらうと顔がくしゃくしゃになる。そのへんはなかなかキュートだなあって、あたしはいつも思ってる。


パパのいない家はすごくしんとしている。玄関の扉を開けたところから、ああ、今日はパパが帰ってこない日なのだとすぐにわかる。
「おかえりなさい、愛莉珠ちゃん」
織部さんはエプロンで手をふきながら玄関まで迎えに出てくれた。パパがいない間はこうして織部さんが泊まっていってくれるのだけれど、この妙に静かで寂しい雰囲気はパパがうちに帰ってくるまでおさまらなかった。
「お風呂も沸かしたけど、さきにご飯食べる?」
織部さんは親切だ。あたしのためにいろいろ気をつかってくれる。
「さきにご飯がいいな」
そう言うと、織部さんは早速キッチンで肉じゃがを温め始めた。織部さんは五十歳くらい(正確には知らない)の女の人だ。社会人と大学生の息子さんが二人いて、量の多い髪の毛をいつも黒いバレッタでひとまとめにしている。お茶を習っているらしく、姿勢がとてもいい親切な人。あたしはこのひとが苦手だ。典型的なおとなになってしまったひとだから。
織部さんとふたりだけでとる夕食は寂しかった。テレビの騒々しい音だけが耳に響く。織部さんは時折、
「学校どう?」
とか、
「あしたのお夕飯はなにがいい?」
とか、すごく事務的な質問をしてくれたけど、「ふつうだよ」、「なんでもいい」と答えてしまうと会話はそれで終わってしまった。あたしも何か織部さんに聞こうかな――と思ったけど一度タイミングをのがしてしまうとそれは言い出しにくい。肉じゃがは温かくておいしいのに、この雰囲気がおいしさを半減させている気がしてならなかった。


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