Alice4.毒りんご

ママがパパと出逢ったのは高校生のときだと言う。ママが落とした定期券をパパが拾うという、「運命的な出逢い」だったんだって。紅やうすいピンクの薔薇が咲きほこる薔薇庭園でお茶をしながら、ママはふふっ、とわらった。
「あたしはパパにひとめぼれだったのよ。あとで聞いたら、パパもあたしにひとめぼれだったのですって。運命的な出逢いじゃない?」
ママはローズティーに蜜をたらし、くるくるとティースプーンでかきまぜてあたしの前に置いた。ローズティーの芳しい匂いがする。ママはローズティーが好きだ。「甘くて優雅で繊細な」味がするんだって。
「ふうん」
あたしはスコーンに生クリームをつけながら言った。
「きっと同じにおいがしたのよ。愛莉珠もそう思わない?」
ママはにこにこしながらあたしを見てくる。あたしはママにもたれかかった。なぜだか、とてつもなくだれかに甘えたい気持ちになったのだ。
「子どもっていうこと?」
わかっているけど、あえて疑問系にしてこたえてみた。声は高め。当然のことすぎてあたしはこのなぞなぞが面白くなかった。ママはかたちのきれいな唇をほほえませる。
「そうね」
あたしはママにスコーンをはんぶんちぎってあげた。冴えた白色のテーブルが目にまぶしい。パパとママはおなじ雰囲気をもっている。ふたりでいるとそれらが上手に合わさって、そうあるべきなんだとかんじられる。パパはママの「王子さま」で、ママはパパの「お姫さま」なのだ。おとぎ話のへんなお姫さまたちなんかより、あたしにはパパとママのほうがよっぽどふさわしい、あるべくしてあるふたりなのだと思えた。
「あのひとはとても孤独なひとなのよ。だって『子ども』がおとなのふりをして生きなきゃならないんだもの。あのひとをわかってあげられるのは、あたしと愛莉珠だけ。とてもしあわせで、とても孤独なひとだわ」
ママはなめらかな指であたしの頬をなでた。ママの指はか細くて、すごくひんやりとしている。
「そうだね」
あたしはあるべくしてあるふたりを見ているとしあわせで、切なかった。


織部さんがダンボール箱いっぱいに、おいしそうな赤いりんごを持ってきてくれた。織部さんの旦那さんの実家が青森の農家で、毎年食べきれないほどのりんごを送ってきてくれるそうだ。だからこうして、いつもあたしの家に分けてくれる。
「そう言っても、ここのおうちでもこんなにたくさん食べないわよねえ。ジャムにでもしましょうか」
織部さんはりんごをテーブルの上に並べながら言った。りんごは嫌いじゃないけど、あたしの家でもそれほど食べない。もとから住んでいるひとの数も少ないわけだし。でもりんごが余ってしまうのはもったいないなあと考えていると、あたしの脳裏にいい案が浮かんだ。
「織部さん、アップルパイつくってもいい?」
我ながらいいアイデアだ。織部さんも「それはいいわね」と言って、楽しそうにわらう。明日は日曜日。優貴が言ってたバスケ部の試合のある日だ。差し入れにもちょうどいい。あたしはさっそくりんごを冷蔵庫の中に入れて冷やし、パイ生地をつくるべく小麦粉とバターを用意した。


「愛莉珠、おはよっ」
うすいピンクのジャケットのなかに白いニットを着て、黒いフリルのついたスカートにおなじ色のブーツ。いつも待ち合わせ時間ぎりぎりにやってくるゆかが定刻の十五分前にやってきた。今日のゆかは気合が入っている。
「気合入ってるね」
あたしが言うと、ゆかは緊張しているのかすこし間をおいて、
「でしょ。服決めるのに時間かかったんだよー」
と言ってはにかんだ。ゆかのほっぺたがほんのり紅潮している。可愛いな、と素直に思った。化粧の濃いゆかより、今日のゆかの方がよっぽど可愛い。あたしの格好は、このあいだパパに買ってもらったエミリーテンプルキュートの白いワンピースに、黒いボレロを羽織ってベロアのブーツを合わせるという、ゆかが言う「愛莉珠っぽい」組み合わせだった。レトロで少女趣味なかんじがするんだって。白いワンピースのすその部分には時計うさぎを追いかけるアリスの影が刺繍されていて、あたしはこのへんがとても気に入っている。
審判のホイッスルが鳴ってバスケの試合がはじまる。二階席で見えにくいのに、ゆかはすごく真剣な表情で永田くんを見つめている。あたしもいちおう、誘ってくれたんだし優貴の姿を追いかけることにした。優貴はいまふたり抜いた。パスした仲間が下手くそで、ボールを取られてしまう。相手側のシュートが決まる。優貴はなにやら永田くんと短い会話をする。あたしはふぅと息をはいた。バスケの試合は展開が速くてついていくのが大変だ。仲間がカットしたボールを永田くんがとる。永田くんは優貴にパスする。優貴はふたり抜いてダンクシュート。決まった。歓声があがる。ふぅん、優貴って上手なんだ。
ハーフタイムになり、息を詰めてゲームを見守っていたゆかも気疲れしたらしく、ふぅとため息をついた。
「思ったんだけど、上岡クン(優貴のこと)が誘ってくれたってことは、やっぱり愛莉珠に気があるんじゃない?」
まさか。
「それはないでしょ。優貴は幼稚舎からいっしょだし、幼なじみみたいなものだよ」
そうかなあ、と言いながらゆかは携帯電話を取り出す。ドコモのパールホワイト。あたしと一緒の機種だ。べつにそろえたわけではないのだけれど。
「でもさ、もしも上岡クンがほかの女の子と付き合い出したらヤじゃない?」
それはイヤかも。だって、そうなれば優貴とはもうふつうの会話もしづらくなるのだ。女の子は嫉妬ぶかいから。あたしにとって優貴とはあのへらへらしたお気楽者であって、そんな恋愛ごときにうつつをぬかす優貴ではないのだ。そんな優貴は、優貴じゃない。
試合の後半が始まる。ゆかはまた、真剣この上ない表情で永田くんを追っている。そういえば、優貴はなんであたしを誘ってくれたんだろう。ずっと、このあいだクルベールに誘わなかったことを根に持っているんだと思っていた。それ以外にぴったりくる理由は思いつかないから、これからもそういうことにしておく。歓声があがる。優貴がまたシュートを決めたらしい。試合を観に来て、いつもへらへらしている優貴が真剣なのにはおどろかされた。優貴でもあんな顔するんだって。あたしはふくざつな気分になる。なんだか優貴までもが、手のとどかないどこか遠くに行っちゃいそうで。


ゆかは永田くんと帰る約束をしているらしい。あのふたりはなんだかんだ言ってうまく行くと思う。あたしは、せっかく持ってきたアップルパイを優貴に渡すため(余ってももったいないからね)、彼を待つことにした。
会場の裏は、女の子たちでいっぱいだった。いきなり鏡をひろげてメークを直したりする子もいる。こういうのを「出待ち」って言うのだろうか。あたしは女の子たちの渦からすこし離れたところで、妙な熱気にうかされたような彼女たちを観察した。巻き髪の大人っぽい子とか、派手なギャルとか、いろんなひとたちがいる。みんな化粧が濃い。あたしはこういうひとたちが嫌いだ。みんなばかみたいによろこんで、おとなの階段をかけ上がっていくひとたちだから。もう彼女たちは、はんぶんおとななのかもしれない。でもあたしはわからなかった。あたしには、永遠にわかることができないのだと思う。どうしてみんな、はやくおとなになりたがるのだろう。
うちの学校のバスケ部が出てきたらしく、女の子たちは黄色い声をあげて彼らに群がった。砂糖にありつく蟻みたい。早く帰りたかったけれど、ここまで待ったんだし、あたしはアップルパイのために優貴をさがした。女の子たちは目当ての選手にそれぞれ分散したようだ。優貴もちゃんと蟻の砂糖になっていた。優貴のまわりは女の子がおおくて大変そうだ。優貴はいつものへらへらした笑顔を浮かべながら女の子に対処している。どうじにあたしはへんな気持ちになった。なんて言うんだろう、そう、虚脱感。なんか一気に力が抜けていく気がして、もうアップルパイのこともどうでもよくなった。あたしは女の子たちの渦に背をむけた。ここはおとなのにおいがする。『子ども』のあたしはここにいてはいけない。
「愛莉珠、愛莉珠!」
出口にむけてもんもんとあるいていると、どうやって女の子たちをまいてきたのか後ろから優貴がやってきた。
「なに?」
ぎろっとにらみながら言うと、彼は大げさに肩をすくめてみせた。
「愛莉珠が見えたからさ、なんか俺に用事でもあるのかと思って」
優貴は目ざとい。へらへらしているくせに、けっこう見ているところは見ている。
「これ、あげる」
観念したあたしは、無愛想にアップルパイの箱を突き出した。
「マジで? さんきゅ」
あたしのつっけんどんな態度も気にせず、優貴はいつものように顔をくしゃくしゃにしてわらう。たくさんプレゼントはもらっているはずなのに、アップルパイひとつでほんとに嬉しそうな顔をするからへんなかんじがした。
「あのひとたち、どうやってまいてきたの?」
あたしが訊くと、優貴は箱の重さをたしかめながら、思い出したように「あぁ」と言った。
「みんなケバいよなー。俺こわくってさ、トイレ行くっつって逃げてきた」
あっけらかに言う。まあ、優貴らしいといえば優貴らしい逃げ方だ。あたしはほっとする。優貴は中身が気になるらしく、とうとうアップルパイの箱を開け始めてしまった。
「俺、ああいう女子は嫌いなんだよ。よろこんでおとなになりそうなヤツ。おっ、うまそうじゃん!」
優貴がアップルパイを素直によろこんでくれたから嬉しかった。
「ちゃんと家で食べなきゃばらばらになっちゃうよ。じゃあね、あたし帰るから」
言う前に、優貴は箱からアップルパイを取り出して口に入れていた。案の定、パイはばらばらと崩れ落ちる。あたしは吹き出しそうになるのをこらえた。優貴はほんとにばかだ。
「愛莉珠、それを早く言えよ!」
聞こえないふりをして出口にむかう。ほっとした。優貴はあたしとおなじだ。正確には、あたしのパパとおなじって言ったほうがいい。優貴はおとなのふりをした『子ども』だ。まちがいなく。そして優貴もあたしが『子ども』であることに気が付いている。だからあんなことを言ったのだ。やっぱり優貴は優貴以外のなにものでもなかった。今日思ったのだけれど、優貴はあたしの大好きな“ロージィ”に似ている。その事実がわかっただけで、あたしはすごく安心した。


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