4. スカーレットに焦がれて

会議が終わると、生徒会の役員は散り散りになった。各委員会に配るプリントをパソコンでまとめる人や、会報の下書きをする人。ここの生徒会は、わりと真面目に機能していると思う。ほかの学校がどうかなんて、全然知らないけど。
聖の隣の席で、あたしは去年の資料を読んでいた。ときどき頁はめくるけれど、内容は全然頭に入っていない。入学式の祝辞の書き方、体育祭のハチマキの数などの懇切丁寧な説明。つまらなくてあくびをしようとしたら、聖に目でとがめられた。
「聖くん」
その時、書記の真美先輩が聖の前にやってきた。聖は急に偽善めいたほほえみをつくる。
「なに?」
真美先輩は華奢な指で、会報のサンプルを聖に差し出す。
「会報できたんだけど、こんな感じでいいかな?」
ふわっといい匂いがした。真美先輩が動くと、あたしのところにまで香水のいい匂いが漂ってくる。これはエンジェルハートだ。あたしはこのうわついた華やかな香りが好きじゃない。あの、洒落た真っ赤なハートの小瓶も。
「うん、いいと思うよ」
聖は真剣な目つきでサンプルを読む。真美先輩の顔が、ぱっとあかるくなった。あたしはふたりの表情を交互にのぞきみながら、ペットボトルの水を飲む。真美先輩は単純だ。なんてわかりやすい人なのだろう。
「生徒会でサンプル配りたいから、これコピーしてきてもらえる?」
すると、真美先輩は困惑したような表情になった。
「でも、わたしコピー機の使い方わからなくて…」
聖は「しょうがないな」と言って、苦笑しながら立ち上がる。
「じゃあ一緒に行くから、使い方覚えて」
あまい声。やさしげな瞳。聖は誰にでもそういう風に接することができる。あたしのママとおなじ。自分をいちばんきれいに見せる方法を知っている。あたしはペットボトルの蓋をきつく閉めた。次に開けるときは、きっと苦労するだろうと知りながら。
「ごめんね、手間取らせちゃって」
真美先輩は聖の後を追いかけ、並んで生徒会室を出て行く。あたしはそうするのが決まりのように、ふうとため息をついた。そして意味もなく、キティの赤いシャーペンを指でくるりとまわす。
知ってる。
真美先輩はもてるのに、この三年間誰からの告白も受けたことがないということ。
そしてそれは、聖が好きだからということも。


マクドナルドでコーラを飲みながら、結衣は言った。
「なんかさぁ、夏姫機嫌わるくない?」
「は?」
思いがけない言葉だったので、あたしは氷をつつく手を止めてしまった。
「聖サンのこと?」
銀色の華奢なピアスをいじりながら、楽しそうに言う。結衣はまた、ピアスの穴をひとつ増やしたらしい。
「べつに」
あたしはまた、ジュースの容器に残った氷をつつき始める。ママでさえ、「夏姫の表情を読み取るのは難しいわ」というのに、結衣はあたしの気持ちを的確に読み取ってしまう。そこが結衣のいいところで、同時にこわいところでもあった。
ジュースの容器を傾けると、底から残りのオレンジジュースが出てくる。あたしはこういうジュースは飲まない。水っぽくて、すごくまずいのだ。
「聖サンもてるもん。カノジョは不安になるよねー」
あたしは結衣をにらんだ。結衣はおどろくほど敏感だけれど、こういうところが鈍感だ。
「べつに」
「はっ、じゃあなんでそんなに氷つついてんの?」
結衣は挑発するように、マスカラのついたながい睫毛をぱちぱちさせる。悔しいけど、結衣の言うことは図星だった。あたしは氷をつつく手を止めて、結衣と割り勘したフライドポテトをつまんだ。ずいぶんふて腐れた顔をしていたと思う。
「夏姫ってそういうとこマジメすぎー。あたしだったら絶対言いふらしてる、だってあの聖サンがカレシだよ?」
結衣はそう言い放つと、ヴィトンの茶色の財布を取り出し、昨日「稼いだ」というお札を数え始めた。あたしと結衣は、根本的に価値観がちがう。あたしだって、好きで隠しているわけじゃないのに。そう思うと、さっきのやりとりも無意味なものに思えてきて、なんだかかなしくなってしまった。


ママが休みの水曜日の夕飯は、たいていカレーだ。ママがつくるカレーにはたくさん野菜がはいっている。日ごろあたしが野菜をとっていないことを気にして、それを補うかのようにたくさん野菜をいれる。ママのカレーは異常にあまい。りんごと蜂蜜入りで、昔から味は変わらない。文句をつけるとママはすぐにへこんじゃうから、あたしは黙ってそのカレーを食べる。この人の娘であり続けるのも、けっこう大変なのだ。
「あたしがいないからって、不健康なものばかり食べちゃだめよ」
水曜日が来るたびに、ママはそう言う。
「分かってるって」
あたしはあまいカレーをかき混ぜながら、わざと面倒くさそうに答えた。ママはちいさく首をすくめる。実際、あたしは野菜があまり好きじゃないから、ママがいないときは野菜のすくないものを選んで食べている。あまいカレーをどうにか胃に流し込むと、ママは冷蔵庫からゴディバのチョコレートを出してきた。いやな予感がする。あたしは眉根を寄せた。
「それ、どうしたの?」
ママがチョコレートをもらうのは、たいてい男のお客さんからだ。
「ああ、これ? 佐々木さんにもらったの」
「ママの新しい恋人?」
ママは不敵に、ふふん、とわらう。
「そうとも言うわね」
ママはもてる。どれだけお店を転々としても、少なくとも二、三人はファンができる。好かれることは、いいことだと思う。けれど、あたしは見ず知らずの男の人がくれたチョコレートなんて食べる気がしなかった。
「じゃあ、いらない」
ママは、あら、と言いながらゴディバの箱をあける。箱の中には、芸術品のようなチョコレートが枠をはみ出すことなく並んでいた。
「おいしいのに。ほんとにいらないの?」
あたしは首を横にふる。ママはすこし残念そうな顔をして、ハート型のプラリネを口の中に放り込んだ。


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