8.アイロニック・ヒロイン

あたしと結衣の性格は、正反対だと言ってもおかしくはない。
それなのに、どうして親しくなったのか。
よく訊かれることなのだけれど、それがあたしたち自身にもよくわからないのだ。
派手で饒舌だと言われる結衣と、冷静で寡黙だと言われるあたし。共通点なんて、そう簡単に見つけることはできなかった。
ただ、あたしも結衣も、他の人にはない自由さを持っている。
それだけが、ふたりの唯一の繋がりで、共通点なのかもしれない。


あたしが結衣と親しくなったのは、二年生になってからのことだった。それまで、あたしは特定の子とずっと一緒にいて、親しくなるなんてなんて考えられなかった。すぐにグループをつくりたがる女の子が苦手なのだ。職員室に行くのも、トイレに行くのも一緒。そういうまどろっこしい関係にはなりたくなかったから、あたしは好んでひとりでいた。体育でふたり組をつくるときや実験でグループをつくらなければならない時はどこかに呼んでもらえたから、困ることはなかった。
ひとりは、楽。ほかの人のことを考えなくていいから。
あたしはよく知らない人と関わることが苦手だった。見た目がしっかり者に見えるのか、小学生のときからよく学級委員とかに推されることはあったけれど、そういうことをするのも実は得意じゃない。ただ、仕事を与えられたからにはやり遂げなければいけない――そういう気持ちで、事務的に委員をやりとげていた。
「夏姫ちゃんって大人っぽいし、なんか冷めてるよね」
昔から、あたしはそう言われることが多かった。
冷めてるって、何だろう。あたしにとって、そうすることが当たり前なだけなのに。
中学一年生のころはよく遅れて学校に行っていた。学校に行けば、必ずおせっかいなクラスメートや先生があたしに構ってくる。どうして遅刻したの?学校は楽しい?そう言ったことに答えることが、面倒だった。
二年生になって、あたしは池田結衣と初めておなじクラスになった。池田結衣のことは、噂にうといあたしでも知っていた。あかるい茶髪。濃い化粧。着崩した制服。
派手で、よくない噂が付きまとう有名な子だった。


二年生になってすぐの席替えで、あたしは結衣の隣の席になった。遠目から彼女を見かけたことはあっても、間近で彼女をみたことがなかったあたしは、まずその派手さにおどろいた。いろいろなぬいぐるみがついて原型がわからなくなっている制定かばん。おおきく膨れ上がった化粧ポーチ。携帯電話は、いつも机の上に置いてある。授業中はメール、そうでなければ睡眠。成績ももちろんわるい。友達になりたくないタイプというより、友達になれないタイプの子だと思った。
最初に口を開いたのは、結衣の方だった。
授業中にノートをとっているあたしを見て、
「深沢サンって、勉強楽しいとか思ってんの?」
と、訊いてきたのだ。その時、あたしは初めて正面から結衣の顔を見た。やけに白い肌、アイラインを太く引いた目と、グロスで光る唇が印象的な顔だった。
「べつに」
冷めた声でそう答えると、結衣はますますわけがわからないとでも言いたげに、茶色っぽい整った眉をひそめた。
「じゃあ、なんで勉強してんのよ」
「親のため」
事実、あたしにとって勉強と言うものは、半分ぐらいママのためにするものだと思っている。成績がよければ、ママは喜ぶ。びっくりするくらいほそい腕で、あたしをぎゅうぎゅう抱きしめて、「さすがあたしの夏姫ね」と言うのだ。ママは、世界でいちばん愛したあの人よりあたしを選んだ。だから、あたしはママを喜ばせてあげなければいけない。
結衣はラインのおかげで大きくみえる目をさらに見開いた。そして、にやりと唇の端をあげる。グロスをたっぷりつけた唇は、妙にくっきりとして見えた。
「へえ、深沢サンって面白いこと言うじゃん」
「なんで?」
すると、結衣はすっと窓の方に顔を向けて瞳を曇らせた。
「あたしも、深沢サンの言うことがわかるから」
四月。
窓の外では、桜が葉桜へと移りかけていた。


それから、あたしと結衣は仲良くなっていった。彼女はクラスでも浮いた存在だったし、あたしも特に仲の良いクラスメートなんていなかったから、そうなるのは必然だったのかもしれない。あたしと結衣は性格が全然ちがうのに、ちゃんと会話が成り立って、そのたびに互いのことを理解し合えるのが不思議だった。
ある日、生徒会に顔を出して帰ると、校門のところで結衣が待っていた。
「どうしたの?」
すると、結衣は棒つきのあめを投げ渡してきた。
「べつに。ヒマだったから待ってた」
どこに行くとも言わず、結衣はひとりで歩き出した。どうしたんだろう、と思いながらあたしは結衣のあとをついて行く。棒つきのあめは、ぼんやりとしたりんご味。夕日は五月でもさわやかじゃない。夕日のオレンジ色はねっとりとして気味がわるく、あたしは夕方という時間がきらいだった。そもそも、夕方という時間は中途半端だ。昼でもない、夜でもない不思議な時間帯。あたしは結衣の影を踏むようにして歩いた。今なら、結衣の痛んだ髪は完全な金髪に見える。
「あたし、弟と妹がいんの。夏姫は?」
突然、結衣はぽつりと話し始めた。
「あたしは一人っ子」
「ふうん」
それは、いいともわるいとも取れない返事だった。
あたしには、兄弟がいるという感覚がよくわからない。同じ年頃の子どもが家にいる。想像するだけでも、それはひどく奇妙な感じがした。ママとふたりだけの生活だとよくわかることもあるけれど、それはつまり、よくわからないことが増えることとおなじなのだ。
「弟と妹は、かわいい?」
「かわいいよ。当たり前じゃん」
珍しく、結衣の頬がゆるんだ。結衣にとって、弟と妹はよっぽどかわいいらしい。結衣でもそんな表情をすることがあるんだと知って、ちょっと安心する。
「あたしが援交してるってウワサ、知ってる?」
あたしはびくっと肩をふるわせてしまった。結衣はなにかと敏感で、唐突に疑問を投げかける癖がある。どう答えたらいいのかわからなくて、あたしは黙りこむしかなかった。結衣は軽くわらう。ハート型のピアス。短い紺色のプリーツのスカート。くたくたになったかばんには、唯我独尊という文字の毒々しいステッカーと、ミッキーとミニーのおおきなぬいぐるみ。
「面白いよねえ、夏姫は。ひねくれているんだけど、妙に正直なところとか」
「…友達には、きらわれたくないから」
それは自然と口に出た言葉だった。そう言えば結衣が喜ぶとか、嬉しがるなんてひとつも考えていない本音だった。
結衣は黙ってしまった。あたしはただ結衣の後ろをついて歩く。
「それ、ホントだから」
結衣は振り返った。
「えっ?」
――池田さん、援交してるんだって。
クラスの女の子たちの噂話。初めて結衣を見た時は、そう言われても仕方がないと思った。派手で、メークが濃くて、一匹狼で。でも、親しくなっていくにつれて、結衣のことがわかってきた。彼女は弱い自分を隠すために、周囲に反発しているだけなのだ。
それなのに。
さっきの発言は頭を殴られたようなショックがあった。あたしの頭はまだその言葉を信じ切れていない。あめの棒を近くにあったゴミ箱に捨てて、どうにか気を紛らわす。
「いいじゃん、だれにもメーワクかけてないんだし」
「結衣」
とがめようとしたあたしを、結衣はにらむ。
「それ以上言わないでよ。言ったら、あたしは夏姫と一緒にいられない」
冷たい、軽蔑するような目。あたしはのどまで出かかった言葉を飲み込んだ。脱色した髪を、結衣は気だるそうにかきあげる。そんなのはまちがってる。そうわかっていても、何も言えなかった。
怖かった。結衣に、きらわれることが。
「あーぁ、つっまんない話したし、気晴らしにマックでも行く?」
再び歩き始めた結衣は、軽い口調で言った。風になびくあかるい茶髪。不健康なぐらいほそい、華奢な体。どこまでも自分を傷つけていく彼女は、とても痛々しかった。


あの日から、もう半年が経った。今でも結衣に対する想いは変わらない。
結衣を見ているとどうしようもなく胸が苦しくなる時があるけれど、あたしが離れてしまったら、彼女は永遠にまちがいに気がつけなくなる。
「夏姫?」
コンビニで夕食のおにぎりを買って帰る途中、後ろから声をかけられた。ふり向くと、ミニスカートを刷いてほそい足をむき出しにした結衣と、赤いチェックのワンピースを着たちいさな女の子がいた。
「結衣」
「こんなトコで会うなんて珍しいじゃん」
相変わらず濃いメークをした結衣は、ふっとわらう。
「ゆいおねえちゃん、あめちょうだい」
結衣の後ろに隠れていた女の子が、結衣の服の裾を引っ張った。結衣は、ちょっと待ってよ、と言いながら、さっき買ったらしいあめの袋を開ける。この女の子は、結衣の年の離れた妹だ。
「麻友ちゃんだったっけ?」
「そう。全然似てないけど」
結衣は麻友ちゃんの髪を梳きながら言う。似てないね、というと、結衣は、あははっ、と大きな声でわらった。ほんとうは似ているのかもしれない。けれど、いつも濃い化粧で素顔を隠している結衣と麻友ちゃんは、全然ちがう顔立ちをしているのだ。ちいさな麻友ちゃんは、かわいらしいほっぺたを膨らませながら、一生懸命あめを舐めている。いつも強がっている結衣にも、こんなことをする頃があったのだろうか。そんなことを考えてみると、ほほえましくて笑ってしまう。不思議そうにあたしを見上げる麻友ちゃんの、つやつやした黒髪。
「じゃあ、また明日」
そう言うと、結衣はすこしさみしそうな顔をした。
「ばいばい」
最後に麻友ちゃんに向かって手をふると、麻友ちゃんは赤い唇をもごもごと動かしながら、
「まゆ、ゆいおねえちゃんのことすきだよ」
と、言った。結衣は「は、何言ってんの」と言いながら真っ赤になる。そのやり取りが、なんだかとても微笑ましかった。
「あたしも、結衣お姉ちゃんのこと好きだよ」
そう言うと、麻友ちゃんはにっこりとわらった。


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