12.深夜逃避行

あたしは逃げてばかりいる。
いい加減、現実と向き合わなければいけないのに。
ママが隠し続けていることも、あたしの父親であるはずのあの人のことも、聖の進路のことも、心のどこかで、知らないままでもいいと思っている。
深夜一時。あたしはマンションのベランダから、夜の街の明かりをながめていた。ここから見える明かりは手に取れそうなほどちいさいのに、実物はすごく大きい。十一月の夜は想像以上に寒くて、思わず身震いをしてしまう。ママは今日も仕事だ。今でも、ときどき佐々木さんと会っているらしい。ママの遊びの恋愛。あたしは、ママの心がここにないことを知っている。ママの心が生きられるのは、きっとあの人の元だけだから。
窮屈なぐらいに、あたしはママに愛されているのはわかってる。
でも、あの人の代わりに愛されるのはもう限界だった。
ポケットの中で携帯電話がふるえる。開いてみると、それは聖からのメールだった。
――会いたい。いつもの公園で待ってる。


だいたい、あんなメールを聖からもらって、すっぽかす女の子なんていないと思う。
聖は、自分の行動が他人にどう受け止められるか知っていて、その行動に移っているのだ。
かなしいけれど、そういう生き方しかできない人だった。
だからこそ、あたしは聖のそばにいたいと思った。
「聖!」
公園に着くと、聖はベンチに腰掛けて煙草を吸っていた。あたしの姿を認めるなり、聖はきれいな顔でほほえむ。久しぶりに彼の姿をみて、あたしは何だか泣きたくなった。聖の傍まで行くと、公園の外灯はひどくまぶしくて目に痛かった。
「急に呼び出してわるかったね」
聖はベンチから立ち上がり、煙草の火を踏み消した。そして、薄着で飛び出してきたあたしに、自分の上着をかけてくれる。
「受験勉強はいいの?」
「息抜きは必要だよ」
そう言うと、聖はあたしの手をにぎった。その手はいつも温かくて、あたしはほっとさせられる。やっぱり聖でなければだめだ。あたしを心から安心させてくれる人は、これまでも、これからも聖だけだと思う。
あたしたちは手をつないだまま歩いた。どこに行くのかと思えば、聖はあかるい自動販売機の前で立ち止まり、小銭を入れてホットコーヒーを二本買った。
「これ、夏姫のぶん」
聖は微糖のコーヒーを差し出してきた。聖はにがいブラックコーヒーしか飲まないけれど、あたしは微糖のコーヒーしか飲まない。聖はあたしの好みをよく知っている。逆を言えば、あたしも彼の好みをよく知っているのだけど。聖は好き嫌いなんてないように見えるけれど、野菜はほとんどきらいで、そして少食。心配性でやさしすぎる聖のママは、聖の偏食と少食ぶりをすごく気にしていた。
「ありがと」
あたしは温かいコーヒーを受け取る。手なかで缶を転がすと、その温かさが全身に伝わっていくような気がした。
それからも、あたしたちはずっと手をつないで歩いていた。
元から会話の多いふたりじゃなかったけれど、いつもに増して会話は少なかった。
寂しさが募るたび、愛しさは募る。
こうして、ずっと聖のそばにいられたらどんなに幸せだろう。
「ねえ、聖」
あたしは手をぎゅっと握った。
「なに? 夏姫がそんなことするなんて珍しいな」
いつもそっけないのに、と言いながら、聖は可笑しそうにわらった。
「どうしてあたしを副会長にしようと思ったの?」
副会長になんてならなければ、あたしは聖と出会うこともなかった。聖とこうして歩くこともなくて、ほかの素直な女の子に嫉妬することもなかった。そして――こんなにも歯がゆくて苦しくて、切ない想いをする必要もなかったのに。
「職権乱用? 夏姫が欲しかったからだよ」
そして、彼はいつも楽しそうにそう答える。けれど、あたしがその答えに納得したことは一度もなかった。
「こんな面倒くさそうな子なのに?」
「夏姫は自分を見下しすぎ」
聖はあたしの頭を小突いた。あたしはむっとする。
誰だって、自分のことはよくわかっているつもりだと思う。あたしはひとりよがりで、数少ない大切な人やものだけに頼っている人間。だから、なにも知らずにあたしのことを好きって言う人なんて、ますます信じられなかった。
「そばに誰かがいて欲しいなら、聖のそばにいたい女の子なんてたくさんいるわ。自分でも気付いているだろうけど、聖のこと好きな人なんていっぱいいるんだから。聖はどこでもひとりでやっていける」
「夏姫」
もうやめろ、と聖は言った。それでもあたしは続ける。
目を逸らすことは、やめようと思った。
――確かにあんたは美雪さんよりはリアリストよ。でも、このままじゃだめになるわ。
香帆ちゃんの言葉は的確だった。あの人を求め続けるママに呆れながら、現実から目を逸らしていたのは、ほんとうはあたしの方だったのだ。このままじゃ、あたしはどんどんだめになる。逃げ続ければ、ぼろぼろになってでも、目の前の現実に向き合おうとはしないのだろう。
だから、もう逃げられないように。あたしは聖の瞳を見すえて言った。
「ねえ、ほんとはあたしじゃなくてもいいんでしょう?」


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